首コリの治療

自分の体調について周囲に理解がない場合、もはやそれは二次被害

お久しぶりです!kurake(@kurakurakurake)です。

ある出来事をきっかけとして、自律神経を乱している人に対する周りの人からの二次被害について書いてみようと思います。

(攻撃的になっている私のことも書いており、さらにめちゃくちゃまとまっているわけでもないので、お見苦しくはあるのですがっ)

周囲の理解のなさはもはや二次被害

身近な人に理解されない苦しみ

あんまりブログには登場しませんが私には超健康体の夫がいます。

アメリカの医者にかかる前に、「歯並びがずれて顎がずれて自律神経が乱れているかもとお医者さんに言われた」と伝えたいと説明する私に、夫は「歯のことに執着しすぎなんじゃない?歯じゃなくて精神科に行く方がいいと思う」と言いました。

「お前は幼い頃に裕福かつ歯への理解のある家で矯正完了してるから何もわからないだろうけど、こちとら歯の欠損・MRIの結果・顎のズレ・明らかに悪い歯並びとウラ取れてんだよ!そもそもわたしネイティブスピーカーでもないのに他言語で精神科のカウンセリング受けろってか?笑」

って思い、その気持ちをぐっとこらえ……ることは全くなく、むしろ威力を倍くらいにして投げつけておきました。

(いまは心を入れ替えてくれたっぽいです。)

ちなみにアメリカの病院では通訳が無料でつけられますが(つけたこともある)、通訳をつけたところで結局は他人を介して言葉を伝えているので、本当に自分の言いたいことはうまく伝わらないこともあります。しかも通訳さんは日本人とは言っても通訳ができるくらい長い間異国に住んでいたような人なので日本から来たばかりの人と比べると感覚も違うと思います。

自分が理解できないからってうんざりしないでほしい

上の話は具体的な話ですが、そもそも私のこの話を理解してもらわないと困る場面があるのに、この話をしようとするたびにうんざりとした顔をしてくるということが日常的にあります。

「こっちだってやりたくてこんなことやってねーわ」という気持ちしかないし、それもぐっとこらえたりしません。

私は言い返せるだけの強い気持ちを持ってはいるものの、傷つくかと言われたら、とっても深く傷つきます。

それも分かるんだけどね、自分の理解を超えたものを理解するのはしんどいってのが人間の基本だからね。

私が悪いのか?

もちろん自分は困っている立場だとしても、周りの人の助けや存在に感謝や配慮をすることは怠ってはいけないと思います。

ただ、それとは別で、困っている立場の人がその困っている理由のせいで傷つけられるのって二次被害じゃない?

理解者がいない。そして自分が狂人のように扱われる、自分がめんどくさい存在と見なされていることがわかる。

でも言い続けないと自分が死んじゃう。

これは自分が悪いのか。自分が何かしたというのか。

困っている人をさらにこんな気持ちにさせる必要ってありますか?って話。

実際自分は1つのことに執着しすぎなのか?

夫に「歯のことに過度に執着していないか?」と言われた。

私もいい大人ですなので、その発言に関して冷静になって自分で自分を振り返ってみました。

わたしは歯並びに病的に執着しているのか?本当はそれ以外に原因があるのではないか?そのせいで見えなくなっていることはないのか?

でも脳+内蔵の検査は一通り受けて問題なかったし(もちろんただの血液検査+αのを受けている)、自律神経が圧迫されていることはMRIでわかっているし、顎のズレは模型まで作っていただいてわかっている、体の歪みは整体師の指摘あり、歯並びと顔の歪みは誰が見ても言われればわかる。

 

ちなみに一番最初にこの症状が出た時にはわたしはセオリー通りに心療内科に通っていました。でも何年間通っても根本的には治らなかったので通うのをやめたという経緯があります。

長らくの投薬で治らなかったってことは他に根本的な原因があると考えるのは異常ではないと思います。

どこが悪そうかって言われたらどんなに理解力がなくても分かりませんか?笑

確かにこの体調のことで悩むことも多いけど、今はガチで四六時中このことを考えているわけではないし、日々幸せだと感じられることもあります。

っていうか後ろ向きになっているのは基本的に低気圧が近づいているときだけで、それ以外は色々なことに挑戦したり仕事に集中したりして普通に暮らしています。

他人の体調のことがわかるわけないという基本

他人と自分の感覚はどうしても乖離する

健康一筋で生きて人にとっては、こんな話は妄想とか遠い異国の話と同じようなレベルの話みたいです。

何度となく色々な人のそんな態度に傷つけられてきました。

周りの人の無理解による言動はただでさえ体調不良と戦っている当事者をもっと苦しめることになります。

もし大切な人がこういうことで悩んでいたら、自分と相手の体は全然違うのだということを前提に接してみてください。

一見「私を大切にしてください」って言いたいように見えるけど、そうじゃなくて。

何事でもそうだけど、お互いの考えてることが全然違う状態で前に進んでもお互いにとってバッドエンドしかないと思うからです。

命に関わるほどではない体調不良の辛いところ

命に関わるほどでもない体調不良のつらさ

明らかに体調は悪いけど、命に関わるほどではない。話せるし歩けるし自分で生活ができる。

そのせいで周りから理解が得づらいっていうのは辛いですよね。

本人は地獄の中をさまよっているような感覚なのに…

理解のない周りの人にこの感覚を味わわせてやりたいと思うこともあります。(そしたら話が早い☆)

いっそのこと死にかけた方が楽?

いっそのこと死にかけた方が楽なんじゃないかとも思う時もあります。

そうすれば医療機関や周りの人にも本気で取り合ってもらえるかもしれない。

でもそれは誰しも心の底から望むことではないと思います。

症状が軽いうちならばちゃんと治る病気もたくさんあるし(顎関節症も軟骨擦り切れたら治療できないって言いますよね)、実際に命に関わるほどまでになったらしんどいのは他でもない自分自身です;

不調を感じているのに何も行動しないというのは、結局は自分で自分を少しずつ殺しているようなものではないでしょうか。

だから死にかけてないけど、命にまでは関わってないけど、できる範囲での努力を止めないし、希望は捨てない。

何かに怯えて生きるのは誰でも嫌

何も努力せずただただ体調の低空飛行を一生続けて不幸せな人生を歩んでいくことを強いられる。

そんなの誰でも嫌だと思います。

このままだと私はストレスに怯え、一生ストレスを回避するために仕事もセーブするし、家族や友達と会うのも疲れるから少なめにするし、旅行なんて絶対行かないし、出産育児なんてもってのほか!引っ越しだって一生したがらないでしょう。(今実際そんな感じ)

それは自分だけでなく周りの人にとってもいいことではないと思います。

だから周りの人は、さいあく理解できなくてもいいから自分と相手の体が同じだと思わないで接するのがいいと思う。

そして当事者は自分と全然違う世界を見ている相手に対して分かりやすい説明やエビデンスを出す。

こういう意識がお互いのギャップを埋める助けになると思っています。

 

こういう作業ってめちゃくちゃ体力を使うし、なんでこんなことしなきゃいけないの…って思うけど、こういう事象で困っている皆様…がんばりましょうね;

最後まで読んでいただきありがとうございました!